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豊田杯について     田代杯について



田代杯の「田代博氏」について


 田代氏は、人吉市鶴田町に生まれ、以来、人吉西小学校、人吉二中、多良木高校と進学した。人吉西小学校では、陸上は存在せず。クラスのリレーの選手ギリギリであった。
 6年生の時、メキシコオリンピックをテレビで観て走ることに興味を持つ。記録は、100m15秒O。人吉二中では、一年、二年の時は、リレーのメンバーが足りなかったので、そのメンバーとして出場する程度であった。13秒O。しかし、三年生の時、スタートの特訓をしてもらってからは、めきめきと力をつけ、たちまち11秒台に突入し、その年の郡市の大会では、他の選手を圧倒、熊本県、北九州大会に進み、見事優勝を遂げた。その時、高校でも走ってみようという気になった。11秒6。
 その後、多良木高校で、現在、県の主任スターターの星子先生から熱心な指導を受け、本格的な練習をするようになり、すごい先輩や同級生と共にインターハイを目指して練習をした。当時は、欠点を直すより、自分の特徴を伸ばすのびのびした練習であった。思い出すと、その頃から、給水は自由に取ったり、練習後にプールで泳ぐという日課であった。この時、最高の練習メニュー「300m」との出会いで200mが得意となった。だが、折角出場したインターハイで、思いどおりの結果が残せなかったので、社会人で走ることを決意した。11秒0。200m22秒2。
 その後、新日鉄ハ幡の陸上部に所属した。当時、日本記録保持者の神野先輩、チームメイトにも恵まれ、共に全日本実業団での優勝を目標に、インターバルやタイムトライアルを中心に練習を重ねた。自分で思い描いていたレペルより上のレペルの試合にも参加できて、全日本実業団で、4×100mリレーで9回優勝、100m、200mでも入賞できた。10秒5。21秒3。現在、NPO法人・北九州陸上クラブ「RIC」でコーチを務め、小学生を中心に、中学生、高校生、社会人も参加できるクラブで陸上競技の楽しさを伝えている。

思い出のレース 
 中学二年生の時に、父親と一緒(隣のコース)に人吉市の記録会(現在のカルチヤーパレス)で走り、13秒Oの同タイムで負けたレースです。


後輩の皆さんヘ

 まず、走ること、跳ぶこと、投げることを好きになって下さい。そして、常に「夢」を持ち、「目標」に向って努力することを忘れず、楽しく競技を続けて下さい。練習は楽しくありません。辛いことが大半ですが、自分の可能性を信じて練習して下さい。満足いく練習ができたら、いつかは楽しい、うれしい結果が待っているはずです。「続けること」、「夢を諦めないこと」が大事だと思います。陸上競技を通じて知り合い、お世話になった人、全てが私の財産です。


平成17年7月7日取材